テニス&バドミントンスクール ノア 姫路校

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好きな本の紹介をします。その87後編

こんにちは!コーチの門井です。

大変長らくお待たせしました…
実は今回のブログ内容は9割ほど完成していた段階で、いろいろ別のことが重なってすっかり投稿するのを忘れていました。年度も変わってまた改めて繰り返し投稿していきますので、皆様ぜひよろしくお願いします。

「腹を割ったら血が出るだけさ」ついに読み終わりましたよ!ということで今回のブログに入っていくのですが、まだ読んでいないという方は是非前編の方も先に見てみてください!本作品についてはいつも通りブログ後半で触れていきます。

さあ、今回は何を書こうかと思い至ったはいいのですが門井はある事実に気が付きました。普段の門井の行動範囲やパターンが限られているということです。

皆様は「シコラー」とか「シコる」という言葉をご存知でしょうか?これらはテニス用語のひとつなんですが、簡単にいうと「攻めずに相手がミスをするまでずっと守っている人」という意味です。まさに門井はこの「シコラー」でして、テニスで試合をすると自分からは基本攻めないでただただ相手にボールを返し続ける為、見てる側や相手からすれば「長くてつまらない」という風に思われがちです。

これはテニスだけに留まらず、日常生活ひいては自身の人生において門井はシコラーであるといえるでしょう。「必要のないチャレンジはしない」それが門井が生きていくうえで重視するルールのひとつです。

例えば、専門学生の頃昼食はいつも決まっていました。授業で使っていたテニスコートの近くにスーパーマーケットがあったのですが、昼休憩は決まってそのスーパーへ行き、同じ入口から入って同じ道を通り同じ商品を手に取り同じレジに並び同じ額支払うというルーティンワークを繰り返していました。飽きるとかそういう感覚はありません。現在だって自宅近くのすき家に今週だけで10回前後行きましたが、全て同じ席に座り同じものを注文し同じ順番で食べました。

なぜこんな生き方をするかと問われれば「楽だから」というただそれだけです。何を食べるかとかどこへ向かうかとかそんな些末なことに思考のリソースを割くことが無駄なことだと信じているからです。

そして同じことを繰り返すからこそ、気づくことがあってそれは大抵通常あまり気にされないような些細なことだったりします。それが時折門井特有の思考に辿り着くきっかけになったりもします。

かのスティーブ・ジョブズはいつも黒のタートルネックとジーンズを着ていましたが、それは「服を選ぶ」という思考に費やすエネルギーを節約する為だといわれています。彼の家のクローゼットには同じ組み合わせの服が何着も用意されてハンガーにかけられているのだとか。

スティーブ・ジョブズを引き合いに出しましたが、彼に感銘を受けたわけではなくたまたま同じようなことを彼もしていたに過ぎません。彼がパリコレよろしくいろんな服に着替えまくる人間だった世界線だったとしても門井は同じものを食べ続けるでしょう。誰かに影響を受けて自分の行動を変えるなど、シコラーの風上にも置けません。

閑話休題。

前回から引き続き紹介しているのが
住野よる氏の
「腹を割ったら血が出るだけさ」です!

これは好き嫌いの分かれる作品だな。

読み終えて真っ先にそう感じました。私は好きですが、理解できないという方も多いだろうな、と率直に思います。理解力とか読解力とか感受性だとかそういうことではありません。人には理解できないものがそれぞれ明確にあります。大衆受けする終わり方もできただろうに、それを選ばなかった住野氏のこの作品への思い、小説への愛、表現への拘り、作家としての意地すら感じました。そういう意味でも非常に私好みな作品です。

また読みたいとは思うけれど、人に勧めようとは思わない。一言で言い表すならそういう表現になります。

前編で使った表現で訂正しなければならないことがあります。それは性的マイノリティーに関する予想と「主人公」という表現です。特に後者に関しては作品の後半のシーンで小楠なのかを介して名言されます。

「誰も主人公じゃない」

それが「少女のマーチ」を描いた小楠なのかの主張でした。少女のマーチについて本作の登場人物たちは「少女」を主人公だと捉えていますが、小楠なのかは誰も主人公じゃないと言いました。物語のどこに焦点を当てるかで、見え方は変わります。

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今作「腹を割ったら血が出るだけさ」では、たくさんの人物が登場します。その中の誰かは、今ここを読んでくださっているあなたに似た人かもしれません。ひょっとしたら周りの誰かに心当たりがあるかもしれません。あなたがどんな人生を歩んでいるのかは分かりませんので、悩みを解決することや倒れそうなのを助けることが僕にはできません。でも、登場人物の誰かが、あなたがあなたを支える小さなきっかけになってくれれば、と願っています。よかったら本を通して、遊びましょう。
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これは本作に対して著者である住野氏が読者に向けて残したメッセージです。

読書とは物語を読んでいるようで、実は自分自身について読み解いているのではないだろうか。

これは読書を愛する私の、唯一の持論です。

文字という記号の羅列には色も音も匂いも触り心地もありません。しかし手にする作品によって私たちは色鮮やかな景色を目にし、あらゆる生物の声を聞き、様々な事件の香りに気づき、多くの出会ったこともない友人と触れ合います。当然それらは本から溢れ出しているわけではありません。全ては私たちが生み出しています。

もし作品に触れて救われたと感じたのなら、それは本に救われたのではなく、あなたがあなたを救ったのだ。と、住野氏は我々に伝えようとしているのではないでしょうか。

答えを知りたがる私たちの中にこそ、答えがある。そう分かりやすく示してくれた作品なのだな、と思いました。

ぜひあなたも読んでみてください!

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