テニス&バドミントンスクール ノア 姫路校

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好きな本の紹介をします。傑作選その2

またお会いしましたね、コーチの門井です。

もう早いもので年末が近づいて来ていますね。
年末年始のテレビなんかは大型特番とか、拡大スペシャルとか放映していたりします。
別にそれとは関係ないのですが、門井のブログの特番的な存在になるこっちのブログです。

第2弾となる今回ですが、第1弾はそんなに反響がありませんでした。
反響がないなら反響が出るまでやるのが門井です。反響が出たら調子に乗ってもっとやるのが門井です。
門井から逃れる術はないのだァー!ハァーハッハッハ!

というわけで今回私が紹介する小話は、
2020年11月26日「その19」
母とのラインの話です。
再紹介する本は
2020年7月9日「その2」
村田沙耶香「コンビニ人間」です。

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意識していたわけではないのですが、最近ブログの分量が増えてきています。
数えてみたら大体どのブログも最低1000字書いていて驚きました。
一般的な原稿用紙が400字だそうなので原稿用紙2枚半~3枚分くらいになりますね。
おそらくですが、私は話すよりも書いている方が饒舌なんだと思います。

毎週書いてるこのブログですが私の母親も見ているようで
ラインで「思わず笑ってしまいました」と連絡が来ていました。
定期的に母親からラインが来るのですが基本私は既読無視しています。

…前の一文を見ると私がすごく薄情者みたいに見えてしまいますので言い訳をします。
この仕事をしているとどうしても帰るのが遅くなってしまいます。
遅くなってから連絡を返すのは忍びないのと、
勤務中だと一言返せてもそれだけで中途半端になってしまうからです。
と言いつつも公休日も連絡を返していないのでやっぱり私は薄情なのかもしれません。
ただ、母から来るラインの中で一度
「既読がついていると読んでいるのが分かって安心します」というメッセージが来た時は
薄情な私も流石に胸が締め付けられる思いでした。
それに返信したかどうかは皆様のご想像にお任せします。

善意や優しさは時に人を傷つけてしまう、というお話でした。

閑話休題。

今回私が再紹介する「コンビニ人間」は2016年第155回芥川龍之介賞を受賞しています。
そもそも、芥川龍之介賞は芸術性を踏まえた(純文学)短編・中編小説を対象に選考が行われます。その為、ある意味面白い作品が受賞するのは稀だとされ、当時この作品に対して他の歴代同賞受賞作品の中でもトップクラスの面白さだと評されたりもしました。
選考に関わった山田詠美氏も「十年以上選考委員を務めてきて、候補作を読んで笑ったのは初めてだった」と語っています。

自分なりに共感を得るのが難しい作品なのではないかな、と危惧していたのですが、こんな評価を得ているとは少々驚きました。

主人公の古倉恵子は、36歳にして未婚。恋愛経験も皆無で就職らしい就職はせず、大学生ではじめたコンビニバイトも18年目になりました。
幼少の頃より変わり者だった恵子は、「普通の感覚」というものが理解できませんでした。ただ、自分が「普通」ではないという事実が周囲から気味悪がられ、煙たがられ、家族を悲しませてしまうことが分かった恵子は、「普通の人」たちの真似をして生きるようになります。

ある程度「普通」に振る舞えるようになり、コンビニバイト生活も非常に気に入っていた恵子ですが、年齢が上がるにつれ、周囲からまた疑念の目を向けられるようになります。就職、結婚、出産。恵子の日常がまた「普通」に脅かされはじめます。

そこに現れたのは白羽という男。以前問題を起こしてコンビニバイトを解雇されたこの男から恵子の現状は「恥ずかしい」ものだと突きつけられ、ある提案を持ちかけられます。

私たちは当たり前ですが、皆違う人間です。
それぞれに同じ部分があり、またそれぞれに違う箇所があります。

「みんなちがってみんないい」

これは有名な金子みすゞ氏の『私と小鳥と鈴と』で登場する一節ですが、これを主張することが本当はとても難しく、勇気のいることなんだと常々思います。

私門井もわりとよく「変わっている」というご意見をいただくので、主人公、恵子の気持ちに強く共感できる部分も多かったです。

多様性が叫ばれている現代ですが、日本社会は一体どれだけ「イレギュラーな存在」に寛容な態度を示せているのでしょうか。

異物混入を見つけると執拗に糾弾する習慣はまだまだ根強いのではないでしょうか。

ただ、普通を押し付けてくる人たちに悪気がないことも理解しています。だから恵子は、「普通」を演じることを選んで生きていました。
誰にも悪意がないのだから、誰かを責めることはできません。自分が我慢すれば、学習すれば全ては丸く収まるのです。

幸せは主観的感情です。
だから幸せの形は人の数だけあっても良いはずなのに。
客観的幸せなどあり得ないのだから、他人が不幸であると勝手に決めつけることなどできないはずなのに。
善意があれば相手を傷つけて良いだなんて、とんだ暴論です。

相手の為を思った行動。それが本当に相手の為になっているかは相手にしか分かりません。時には相手自身にも分からないかもしれません。

自分の親切心に迎合せず、常識の奴隷にならず、常に違いを許容できる心の広い人間でありたいですね。

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