こんにちは!コーチの門井です。
早いもので、このブログもその90まで到達しました!サボっている期間がなければもっとペースも早かったのでしょうが、なんにせよ3桁までもう少しです。ここまで読んでくださっている皆様への感謝を胸に、今新しい文字を紡いでおります。
さて、皆様は許せないことってありますか?門井にはそこそこあります。記念すべき回の話題がいきなりなんか暗そうだとかそう思ったそこのあなた!少なくとも明るい話ではありません。そういうのはあまり門井に期待しないでもろて。適度なネガティブこそ私のアイデンティティです。本日は「本気で怒っているわけじゃないけど、かといって許した覚えはないこと」をひとつ紹介できればと思っております。
皆様はこんな場面に直面したことはありませんか?
門井「今回のイベントはこのように進めていきます。」
上司「この間Aくんから聞いた感じだと〜っていう方向だと思ったんだけど、こういう感じでいくのね?」
門井「…なるほど。また改めて確認でき次第ご報告しますが、おそらく私とAさんとの間で齟齬が生じております。またお時間を頂くことになります。すみません。」
上司「そご、って何?あんま難しい言葉使うなよ〜。」
門井「…え?」
これは実際にあった会話ではなく、説明をしやすいように私が作った文章です。しかしこのようなやり取りが度々あるのは事実です。相手が分かりやすい言葉を選んで使う。それは確かにコミュニケーションとしては正解なのかもしれません。ではいつもいつでも下に合わせるのがベストなのか?私はそうは思いません。例えば「齟齬」という言葉を知っている人と知らない人がいるとします。常に知らない側に合わせるのが正しい世界ならこの言葉が存在する意味ってなんでしょうか。
知らないことに直面したなら、それを知ろうとするべきではないのか。私はそう思うのです。そうしないと日本の学びは衰退する一方です。『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』なんて諺もありますが、無知を正当化するなんて末代までの恥です。別に私が博識なわけではありません。私だって日々知らない言葉に出会い触れて、自分の一部にしていく最中です。
そんなことを考えながら大阪梅田の駅構内にあるローソンのイートインスペースで電車が来るのを厚焼き玉子のサンドイッチを頬張りながら待っていると、一組の親子が目に入ります。母親が押すベビーカーの中で赤ちゃん…いや赤さんは新聞を大きく広げていました。あの歳でわかるんかな?とか考えているとふいに赤さんがこちらに視線を送りました。数秒見合った後、赤さんは口の端をニヤリとあげると新聞に視線を戻し私の視界から消えてしまいました。こうしちゃいられない!私は咀嚼していたサンドイッチを持っていたカルピスで流し込むと、読み止しの本を手に取り栞が挟んであるページを開くのでした。
閑話休題。
私が今回紹介するのは
知念実希人の「黒猫の小夜曲(セレナーデ)」です。
主人公は所謂死神です。本作品では「道案内」と呼ばれることが多く、死後未練などを抱え地上に留まる地縛霊を「我が主様のもと」へと連れて行くのが役目です。
本来は肉体を超越した高位の霊的存在だというが、ひょんなことから黒猫として肉体を与えられ、地上で仕事をすることになってしまいます。そこで出会ったのは、自分が何者かも未練も思い出すことができないという記憶喪失の霊魂。彼女にクロと名付けられ、クロは彼女の記憶を取り戻す手助けを、彼女はこの街の地縛霊がいる場所へクロを案内し仕事の手伝いをすることになります。
街の地縛霊たちの記憶や未練を探り救っていく中で、数々の死の背景にとある製薬会社が関わっていることにクロは気付いていきます。本当の黒幕は誰なのか?「彼女」の本当の目的は?人間たちの愛や絆の形を描いたハートフル・ミステリーです。
ぜひ読んでみてください!